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ディヌ・リパッティのラストリサイタルを聴いている。 1950年の9月だったのだ。 やわらかい音だ。 今はバッハのパルティータ1番。 メヌエットのところだが、指の運びが目に見えるような音の運びだ。
今日は1日横になることがなかった。 夕食後、もう少しで横になりそうだったが、しのげた。 11時過ぎてから洗いものをした。 中華鍋を使ったので、どうしても洗っておかなければならないのだ。 この鍋はまだそんなに古くなく、私が料理をし始めて、だいぶしてから使いだしたので、2年ぐらいかな~。 もう、すっかり油がなじんで、錆が出ることはない。 私が使いだす前は、中も裏っかわも汚れが残ったままで、今もその名残があるのだが、まだ新しいものだったのに無残だった。 汚れがこびりついていたのは、ほかの調理器具全部そうだったし、皿や茶碗、湯呑、ガラス器、スプーン、フォークなども、ひどいものだった。 買い物に出たこと、洗濯物を畳んだこと、そうそう、生け垣の消毒を少しやった。 消毒は時間がかかる。 小さい、手に持つ、霧吹きのような道具でやるから、2時間足らずで計10メートルほどしかできなかった。 白カビ病が、マサキにたくさん付いているのだ。 ゴーグルもマスクもせずにやるから、ほんとうは良くないのだが・・・・。 最初にお隣のおばあちゃんに声をかけられたので、お隣との境を、敷地に入らせてもらってやった。 入ってみると、だいぶん前に剪定した枝を挿していたのが、大方着いていた。 長い間、石ころだけだったのだが、この調子だと、ここも生け垣になりそうだ。 ここがつながると、敷地の四方全部が生け垣になるかもしれない。 南側の、上の家の下の方がまばらだけど、ここにもいろいろ挿したのが伸びてきているからな。 少しずつ何かをしていくことが、自信につながっていく。 少し前は、自分が身動きすること全部が、「これでいいのか?」と、誰にも聞くわけにもいかず、わからないだけに不安で、しどろもどろするような心持ちだったのだ。 一時も心休まる時が無かったのだ。 自己肯定感が育っていないということは、例えば、そういうことになるのだ。 私は否定的存在だったのだ。 自己否定感が育てられていたのだ。 10歳の時にタバコを吸い始めて、それがやめられないことに驚き、罪業感をもったのが始まりのように思っていたが、もっと前の、それこそ生まれ落ちて以来の、高い欲求水準のもとに育てられたことが、それができない存在として、累積されていっていたのではないだろうか? ベースとしてそれがあったところに感じた、ある意味決定的に自己否定になる、それも自分で思うには十分すぎる、「罪業感」を、小学校5年生で感じたということだったのではないだろうか? 軽く暖房をかけているが、芯から冷えることが無くなっている。 膝掛けも必要ない。 リサイタルの最後は、ショパンのワルツ1番だ。 早い指の動きで、少し走り気味である。 しかし、ゆっくり弾くところでは、その気を全く感じさせない。 なんか、技量のすべてを出しつくしたようだった。 終わると、無音の静かさが沁み出てくる・・・・・。 にほんブログ村 にほんブログ村
by Silvergray777jp
| 2009-04-30 01:39
| トラウマサバイバー
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