興福寺の阿修羅像についてやっていた。 聖武天皇の妃光明皇后が、金光明最勝王経に帰依して、その世界を興福寺西金堂に現した内の像の一つだ。 金光明最勝王経は懺悔の書のようだ。 他の八部衆の表情も、阿修羅像と同じように深い懺悔の表情だ。
そのように、成り立ちを聞くと、あの像を、客観的に見ることができるように思われる。 わけを知らないと、謎の陥穽のなかに落ち込んでいくようなところがあったが・・・・・・。
その前の『サハラ砂漠謎の岩絵』は、途中、またまた、眠ってしまった。 そのつもりはなく、しっかり見ていたつもりが、肝腎なところのいくつかを、見ていないのだった。
上記までの文章を書くのに、正確を期すために調べながら書いていたら、もう1時を過ぎている。
今夜も、また、遅くなる模様・・・・。
元、あるところにいた人がおふくろを訪ねてきた。 私も知っている人だが、私はお茶を出しただけで自室にひっこんでいたが、あとで聞いてみると、離れたわけを伝えていこうと、その1番にここへ来たようだった。
私は、そのことに、いささか疑問を感じた。 微妙な違いなのだが、大きな違いというのがあると思うが、これもそうではないかと思う。
だいじなのは、実践の結果がどうかということで、結果に謙虚であることはだいじなことなのではないだろうか?
少し前に書いた、最近は小鳥のように心震えることが少なくなったということが、今日、買い物に出て、改めて、そうなっているなと、思った。
そうして、まだ、自信というところには行っていないが、自分としての動きの経験が積み重ねられて、自分が創られてきているように感じた。
今日来た人への応対にも、いい年をしたジサマというより、子供のような応対が自然に出るのだが、その辺も、次第に変わってくるのかもしれない。
幼く、年寄りだが年寄りでない、子供年寄り、これが私である。 今のありのままはまさしくそうなのだが・・・・、自分が創られていくと、その姿も、次第に変わっていくのではないだろうか?
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