もう、0時を回っているが、・・・・・カウンセリング自助グループの例会だった。
行く途中の山の、また郊外の緑や風景が、広い世界を感じさせてくれた。 いかに、日常、狭い世界のなかだけに居るかと、思い知らされた。
このことは、意識しておかなければならない。
雨が多かったせいか、山のなかの曲がりくねった道の擁壁には、苔がびっしりついていた。
会が終わってから外に出ると、陽は斜めになっているのだが、燃え残りのような暑さだった。
それに引き比べて、会の最中は障子も開けっ放しで、おかげで観光客が廊下を歩いたり庭を通って、ガラス戸越しに見られたりマイナスもあったが、室内から見る庭の緑は、何とも、眼に心地よかった。
今日はフォーカシングで、実際にデモ・ディスプレイ(?)を聴くことができた。 あとの感想交流で、リスナーが言っていたが、フォーカサーに添う心地よさを感じると言っていたが、ポイントを突いているのではないだろうか? 自分の観点からではなく、フォーカサーのイメージなり体感なり、言葉なり感覚なりに添って、少しづつフォーカサイズしていく、と、いうことではないだろうか?
聴き手として、共感しつつ、客観的観点から、要所要所の要点にも気づくことができるのではないだろうか? フォーカシングは、他者の力を借りて、自分に気づいていく作業かも、しれない。
夜のテレビ番組、『懐かしのメロディ』だったかな、懐かしく、普段は忘れている歌が、多く歌われた。 『港の見える丘』、『赤い靴』、・・・・・。 『青森はふるさと』だったかは、歌曲として歌える。 秋川なんとかさんが歌っていた。 歌曲そのものだった。 米山正夫作詞作曲の、美空ひばりの持ち歌だという。 石田あゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、やっぱり石田あゆみの歌だった。 顔はすっかり頬もこけて、骸骨みたいになっているのだが・・・・・。 かつての美貌を、もう1度見たい。
久し振りに、画面を見ながらいくつか、一緒に歌っていた。 歌わなくちゃ。
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