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下記の文章は、別のところに書き込んだものだが、私の自己表明として、ここにも載せてみようと思う。
私が何を思っていて、また、ACとは何なのか考えていただければ幸いである。 ☆ ちょっと前、私のことを、現役のACですか、元ACなんじゃないですかと、質問を受けたことがある。 すぐにレスして、バリバリの現役だよ~と書いたのだが、今日、改めて、そうなんだ、元ではない、現役なんだと、思った。 私は、少し元気になって、少し、動くことを生活のプログラムに入れている。 すると、錯覚が起きるのだ。 もう、動けるようになったのだと。 でも、そうではない。 動くのはほんのちょっとで、大部分は引きこもり状態なんだ。 気持も、能動的に自分を動かしていくことは、ちょこっとしかできない。 むしろ、停滞の方が多いのだ。 停滞と、自己コントロールがか細い状態が、偽らざる私だ。 だから、動くことの一つとして、同じACや、あるいは精神障害者をサポートすることを考えたりしていたわけだが、できるのは、せいぜいピア・サポートだ。 恒常的に、ボランティア団体や行政やあるいは病院などに属して、継続的に働くことは、まだ、できない。 それよりもと言うか、それどころかと言うか、人の世話どころではないのだ、自分の世話だけで精いっぱいなのだ。 自分の世話ができるようになっていることだけでも、上出来なのだ! 私の今のレベルはその段階なのだということを、よく承知しておかなければならないと、思う。 調子に乗って、やりたがると、また、罠にはまる。 陥穽に落ちる。 他人の世話どころではない、自分の世話をよ~く見て、自分の能動性を高めていかなければならないと、思う。 私は以前、かなり社会的にも動いていたので、ちょっと動けるようになると、かつてと同等かそれ以上ぐらいに動けるのではないかと、これもまた、錯覚してしまう。 周りにはかつてのように動くことを期待している空気もある。 私が、かつての動き方とは違うが、卓球や合唱に参加して、人々のなかでも一定何らかの役割を果たしたりしていると、もう、それができるようになっているのではないか、そっちの方が私の普通の姿なのではないかと、自分でも錯覚するのだ。 そんなことはない。これは、私のごくごく一部なのだ。 まだまだ、基本的に試行錯誤の段階で、ほんのちょっとできるようになっているに過ぎないのだ。 うっかり、もう、大方のことはできるだろうと、1歩か2歩か3歩か5歩か知らないが、踏み出そうかとしていたが、もう一遍、ブレーキをかけることにする。 なかなか、元ACにはなれない。 生涯一捕手ではないが、生涯一ACということも、考えてもいいのではないだろうか? ACの経験は消滅することはないし、何かのきっかけでフラッシュバックも起こる。 今、行われている裁判員制度でも、もし回ってきたときには、私は、このフラッシュバックの恐れがあることを伝えて、辞退したいと、思っている。 虐待は、犯罪そのものなのだから。・・・・・・・ 物理的精神的虐待を受け、存在を否定され、魂も奪われた人間がACなんだ。 にほんブログ村
by Silvergray777jp
| 2009-09-11 01:45
| トラウマサバイバー
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