カテゴリ
全体 トラウマサバイバー 進路 メンタルヘルス カウンセリング 健康 文化 文学 詩・句 音楽・舞踊 美術 映画 演劇 テレビ番組 社会問題 科学 自然 情景 思い出すこと 日常 旅 友人 おふくろ 仕事 庭仕事 料理 PC 車 卓球 いろいろ 不思議なこと 失敗 怪(?) 未分類 以前の記事
2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 more... お気に入りブログ
アトリエkaguyawing おパリな生活 プチ撮り福岡そしてスケッ... 街の風景 ~横浜・東京篇~ ナカマサニッキ 非天然色東京画 そして今日も途方にくれる フランス存在日記 新しい発見 まさかり半島日記 のらねこ。 (野良にゃ... 但馬・写真日和 楽貧生活 SEHIDUP-SEMA... フランス生活便り ★ウルフのスナフ物語(... 吐息・・・ 天気晴朗なれど~ 専業主婦の本棚 rio’s story みちのくの大自然 shot & shot 村人生活@ スペイン デジカメつれづれ日記3 こころの色 九十代万歳! (旧 八... 陶工房「上名窯」通信・... ネコ!いつかは干支に・・・ パリの郊外暮らし トスカーナ 「進行中」 ... 散歩日和 田口ランディ Offic... larywa Bon Copain! ひつじ雲日記 たびねこ タスマニアで生きる人たち ネコは猫でも... (... sadwat blog 旅するように暮らしたい FOTO CYCHEDE... 黒い森の白いくまさん 陰翳の煌き *PONCHIKUISM* あに☆いもうと ありがとうはまほ(う)のことば かぼすちゃんとおさんぽ。 焚き火小屋の備忘録 木蔭のアムゼル 「tamawakaba.... 光と影をおいかけて 助手M1日記 ゆっくり生きる 農家の嫁の事件簿 +(ぷらす) ねこの撮った汽車 豆ズがやって来た!ニャア... ku-miru-hiku feel the wind 地球の子ども新聞 Colors of Se... アメリカからニュージーランドへ 世に倦む日日 日々のことなど。 森の小道 子育て探検日記... ちくわ部 おやこ3人。ねこ2ひき。 ふくとぽん 外部リンク
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ロベール・ドアノー展(~2012.08.26 山口県立美術館)を観てきた。 フランスの写真家だ。 市井の人々のありのままの姿を写し取っている。 パリの、底辺で暮らす人々の様子が、自分がそこに居たように感じられる。 自分も写真家と一緒になって、同じ姿を見ているように感じられる。
「内気だったから、被写体と距離をとるようにしていたのだが、それが、その場の空気感を伝えることになった」と、写真家自身が語っているが、私たちが写真に求めるものは、まさにそれではないだろうか? 多くの写真が味気無いのは、ものが写っているだけだからだ。 人が写っているときも、何の感情も無い、人間の形をしたものが写っていることがほとんどではないだろうか? 人が漂わせる空気、子供なら、その子が今感じていることが、わかる写真が欲しいのだ。 『階段』という写真は、斜めになった階段のステップを、ハイヒールの女性が先に上がっていっている、腰から下だけで、顔は見えない。 その足を目で追いながら、ハンチングをかぶった男が手前から斜めの階段に差しかかろうとしている。 この写真のすぐ前に、細い路地に立って、タバコをふかしている2人の女性の写真があったから、斜めの階段を先に上がっているのは娼婦だろうと思わせられる。 男は、その後を付いて上がっているのだ。 こんな写真は、そう撮れるものではないだろう。 娼婦たちに信頼されていなかったら、そんなところに居ることもできないだろう。 だから、娼婦たちも、単なる対象ではないのではないだろうか? もしかしたら、その生きていく姿に感じるものがあって、だから、写しているのではないだろうか? だから、ドアノーの場合、まず空気感がたいせつなのだ。 子供を撮るときだって、感じるものがあって、だから、レンズを向けるのではないだろうか? だから、186枚とかのたくさんの写真だったが、1枚1枚、感じるものがあるのだ。 だから、見飽きない。 『オランピア劇場のエディット・ピアフ』なんか、すごい写真だ。 スポットライトに照らされたピアフが、両手を広げ、両足を踏ん張って歌っているのだが、それは、画面の左下隅だ。 あとは全画面真っ黒なのだ。 その黒さが、ピアフの負ってきた背景を語っているように思う。 言わば、暗黒のなかで、今、スポットライトを浴びて、ピアフは歌っているのだ。 もう1枚、『カフェ「ノワール・エ・ブラン(黒と白)」、ジョワンヴィル・ル・ポン』もすごい。 結婚式を済ませた中年の男女が中央のカウンターで杯を交わしている。 もちろん花嫁はウエディングドレスを着て、ベールもかぶったまま。 その手前に、顔も手も黒く日焼けしているのか、白黒写真だから色まではわからないが、そう見える若い労働者が、眼光鋭く、カウンターのなかのウエイトレスを見ている。 そのウエイトレスは、中年男女の連れか、その傍のもうひとりの中年の男に目をやり、笑っている。 なんでもないカフェでの一光景だが、若い労働者の眼光の鋭さが、この一見幸せな光景を異質のものにしている。 労働者は、左手前に大きく写っているから、その迫力たるや圧倒的なのだ。 だから、他の4人の幸せに流れてしまう空気に、何かわからないが、この労働者は切り込んでいるのだ。 こんな一瞬を捉えるなんて、やはりすごいと、思う。 長くなるのでやめるが、今までには見たことのない写真だった。 帰って、この街の景色のなかに入ったとき、「ああ、私は、この街のなかだけで生きていたのだな」と思った。 なんか、毎日の心配が、圧倒的なもののように思っていたが、井の中の蛙ではないが、ちいとは(山口弁?=少しは)外の空気を吸わなきゃならないぞと、思わせられた。 目を世界に開かなければならない。 「身は平炉にありて、心に祖国を思い、目は世界に開く」とは、かつて中国で、社会主義建設が旺盛だったころのスローガンだが、普通の人間の生活にだってこの観点は必要なことだ。 特に精神的葛藤を抱えていると、目の前のこととか現在只今のことだけが全てになりがちになる。 適応障害があるから、目の前のことに一所懸命にならなければならないのだ。 ただそれだけで日が暮れることが多いのだ。 やれやれ。 にほんブログ村 芸術・人文 ブログランキングへ
by Silvergray777jp
| 2012-08-23 01:53
| 美術
|
ファン申請 |
||