今日(22日、以下同)は、同じACの人間と、心ゆくまでというぐらい話した。 いつもの、天井の高い、窓の開口部の広い、周囲に木陰のある喫茶店で、4時間ぐらい、コーヒー1杯で話した。 もう20年を超える長い付き合いだ。
AC同士ということで、隔てるものがないので話しやすいのだ。 お互いのACの核心点が焦点になった。 実際に経験した話をお互いに出すなかで、核心に迫っていった。
私の場合は精神的ネグレクトを受けたことがそもそもの始まりなのだが、その当然の帰結としてと言うと少し変かもしれないが、得られなかった精神的サポートを求め続けたこと(おふくろに対して)が核心だ。 10歳から始まって61歳直前までそうしていたのだから、世間的にはなかなか認知してもらえないし、私としても、いわばその間、成長が止まっていたところがあるのだから、ことは深刻なのである。 世間的には虫唾が走るほどの甘ったれにしか見られないところもあり、そこから、非認知、理解不能者ととらえられて、結果的に私の存在理由が否定されるわけだ。 これはレイプ被害者の警察、検察、裁判所での2重3重の性被害ではないが、当初のネグレクトの上に上塗りして新しく存在理由を否定されるから、される側としてはたいへん苦痛なわけだ。 私はあるグループの場で、それを体験し、間もなくそのグループから身を引いた。
と、いうような、なかなか普通の人には話すことができないようなことを、否定されることも、怪訝に思われることもなく話せたので、話し終わって店を出たときには、心地よく、気持ちが軽くなっているのを感じた。 長い時間だったのだが、ほんとうに気持ちのいい時間だった。
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