ゆうべも夜更かしで、今日の午後はお休み。 午前中は割合、頭脳明晰なんだが、起きるのが遅いし、起きて1時間かそれ以上PCに向かっているから、ろくなことはできない。 洗濯物を干したり、掃除機をちょっと動かしたりすると、すぐに時間は無くなる。 そしてまた、PCなのだ。
夕食後、ちょっときつくて、洗い物はせず、自室へ。 何をしてもおもしろくない。 テレビも全然。 それでも、アメリカの刑事ものをやっていたのを少し見ていた。
こんな形で、私は社会参加している。 これが、ありのままの私の姿だ。 現実に、この姿でこの世のなかにいるのが私だ。
こういう姿の自分という、偽らざる在り様というものを、よく認識しなければならない。
その自分が歩いていく。 この世のなかで生きていくのだ。
なんか、準備ができてからではないのだ。 もう既にして、現に存在しているのだ、この世のなかに。 隣近所のなかの私、知っている範囲のこの街のなかでの私、そして、今まで生きてきたその折々、場所場所での私の姿、それが、皆、偽らざる私の姿だ。 とても、認めたくないような自分の姿も、自分の姿だ。 長い間共依存していた私の姿も私だ。 何10年、生れてきて以来だったのか、・・・・・と、すると61年間だが・・・・・。 その期間の方が、圧倒的に長いんだ。 私は、私らしく生き始めて、まだ、7年余りなんだ。
その最初は、生れ落ちたばかりの赤子のように、何も知らず、何もできず、何も持っていなかったのだ。 もちろん精神的な意味でだけど。
ただ、持っていたもの、在ったもの(私のまわりに)も、再構成してというか、身につけ直したところがあるのだ。 この家もそうだし、私が今まで生きてきたなかで、私の周囲に置いているもの、私の所有物になっているものも、皆、とらえ直したところがあるのだ。
私はそれを始めるまでは、まるで幻影を相手に生きていたようなところがあったのだから・・・・・!
こういう私が、この世のなかの一員として、生きていこう。
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