私の、根本のところは、自己肯定感の無さあるいは少なさだということに、改めて気付かされた。
この間の沈没は、自己コントロールが効かないところがあった。
エネルギーの元である自己肯定感、改めて考えてみると、言葉では知っていたが、私は持っていないんだということを、今日というか、さっき思ったのだ。
それが無いと、そりゃあ、エネルギーは出てこない。
ひたすら、チーンと、無為、無意欲、あるいは無感動みたいな、無表情でもあるかもしれない、そして、心の動きの無い状態だった。
トイレだって、ギリギリにならないと行かない、食事だって同じ、限度いっぱいまで動かない、作るのも気持が入らない(とは言っても、作り始めると、最善を尽くそうとするのだが・・・・)と、いう状態だった。
一方で、菓子を食べて、満足感を得ようという動きには、ブレーキがかからなかった。 PCにかじりつくのも同じである。 何か、充たされるもの、手応えを感じるものに、すがりつこうというような心境だったかもしれない。
以上のような状況証拠から言っても、何か、根本的に、力の元になるものが私には欠落し、一方、その欠落を埋めるために、何かにしがみつこうとするところがあるのではないだろうか?
と、いうようなことを考えていると、これは、本気で、自己肯定感を獲得しなきゃいけないぞ、と、改めて、考えさせられたのだ。
状態を観察して、それが在るか無いか、客観的に見てみるという段階ではなく、無いことを直視して、持つようにしなければならない、と、いうことだ。
私は、数年がかりで、社会参加への道を進んできている。 が、今度のように動かなくなると、それも、何もかもフイにしてしまうほどのマイナスのエネルギーを、私は抱えているのだ。
確かに私は自己肯定感を失っていた。
確かに、その補てんも、その再生も、あるいは新たなそれの獲得も、未だやってはいなかったのだ。
無いまま、ずーっと、来ていたのだ。
それでは、ほんとうに、私の馬力がと言うか人力ではなくて、力が出るわけがないのだ。
よーっく、自分を見つめてみよう。
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