今日も、外歩きの作業。 2ヶ所で、計2時間。 もっとかかったようにあったが、2時間だった。
風邪をもらったようだ。 喉が痛い。
外歩きの1ヶ所は、久しぶりだった。 ずいぶん変わっていた。 新しい道ができて、以前の面影は無い。
ずいぶん前にやっていたことと同じようなことをやったのだが、私は変わっているのだろうか?
以前の「ねばならない」からやるというのとは、違っていると思うけどなあ・・・・・・?
少なくとも今日は、自分の意思でというところがあるように思う。 以前の「やらなければならない」というのは、つまり、どこかで決められたことなのだ、私が決めたことではなくて・・・・・。 つまり、他人事になって、魂が入らないのだ。
昨日書いた、目標、これは、「自分の」目標だ。 誰かが、どこかで決めたことではない。 以前の「ねばならない」は、私が、勝手にそう思っていたことだ。 何か、どこにもその根拠がない、空中に浮かんでいる概念のようなものから、勝手に、私が、そう思い込んでいたものなのだ。 「かくかくあらねばならない」と。
そう思い込むような考え方になっていたのだ。 そういう思考パターンだったのだ。
「あるべき姿」こそ、至高だったのだ。
それは、終点の無い、どこまで行っても、そうはできない自分を責めることになる、まるで蟻地獄のような思考パターンだ。
それとは違う目標。
意図的な、何かに向かっていく情熱、そういうものが、人生には要るのではないだろうか?
今日は未熟成ながら、一定睡眠時間も確保して、いや、実は、少し寝が足らなかったのだが、まあしかし、動くことができた。 つまり、意図的に少し動いた。 だから、「ああ、今日は、あそこでかくかくのことをしたな」という、何か実感みたいなものがある。 確かに、「自分がやった」事業なのだ。 手応えがある。
私は、こういうものを、求めていた。
生きている手応え、みたいな、ものだ。
やっていることが同じようなことだから、以前の魂の無い作業と、ダブるところがあるのだが・・・・・。
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