私の現在の課題は、「あるべき姿」は本意ではないと退けていた行動規範を、換骨奪胎してと言うか、「あるべき姿」というよりも、言わば「求められている姿」を、行動規範にしていこうと、いうことではないかと、思い至った。
「意識的な行動」とか「能動性」とかいろいろ言ってきたが、行動スタイルを見てみると、基本的に、自ら動くという能動性が非常に乏しくて、それは振り返ってみれば、かつて「あるべき姿」たらんとして、ひたすら務めたその辛さを清算して、「あるがまま」を、その後の行動規範にしたことに由来しているのではないかと、思い至ったというわけだ。
「あるがまま」だから、子どものころに失った能動性は、そのままに、機能していないのだ。 おまけに、「あるべき姿」たらんとして動いた苦痛の記憶が、その上にかぶさっているから、それは、少々のことでは、「意識的に動く」ことも、自らの「能動性を発揚して動く」ことも、行われるワケが無いのだ!
そういう現状をつまびらかに見てみると、私の現在の課題が浮かび上がってくるようだった。
私の「あるがまま」の一方で、現実生活の必要から、もろもろのことを処理していくことや、さらには例えば合唱の自主練習など、あるいは健康体にしていくことを目指して、計画的に実行していくことが求められているのだ。
それは、「あるがまま」の成り行き任せでは実現されないのだ。
それこそ、「目的意識的に行動していく」ことが、求められているのだ!!
これは、私にとっては、一大大大変革なのだ!!!
50年間「あるべき姿」たらんとして苦しんで、
その苦しみから解放された「あるがまま」の時を10年足らず過ごした今、
再び自分を強制して、「求められている姿」を実現していく方向へ、舵を切ろうというわけだ!
そう、「あるがまま」ではなくて、「自分を強制する」のだ!
どうも、現実をつまびらかに見ると、そうなっているようだ。・・・・・・・・・・・
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