デジタル化された『法然上人絵伝』の各場面を辿って、法然上人の姿を浮かび上がらせる番組(NHKBSP)を観た。 他力本願の念仏を始めた人としか知らなかったが、たいへん魅力的な人物だったようだ。 悪人正機(あくにんしょうき)も、法然の信心の目的だったようだ。 利益衆生(りやくしゅじょう)も、もう一つの大きな目標だったようだ。 衆生が救われることを願ったから、民衆から支持されたのだ。
翻(ひるがえ)って考えてみるに、現在の衆生救済のためには、念仏を唱えるだけでは、何も生まれないのではないだろうか?
現在の利益衆生のためには、法然が当時、個々の人の具体的な問題について語ったと同じように、現在の個々の人間、又は多くの人間の、具体的な問題を、具体的に考えなければならないのではないだろうか? 個々の人間が暮らしている社会についても考えなければならないのなら、具体的に問題提起していくことこそ、やられなければならないのではないかと思うが、そういう提起はほとんどと言っていいぐらい聞かない。
宗教になると、詰まるところ個人の救済になってしまうのではないだろうか? 「衆生救済」、「利益衆生」で無くなってしまうのだ。
朝早く、パネル展示会の設営を手伝った。 ゆうべ(22日夜、以下同)は2時間弱しか寝ていなかったからやれないかと思ったが、それでも寝起きの馬力があった。 が、帰ってからは、きれいにアウトだった。 午前中も午後も。
夕食もレンジでチンだけで済ました。
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