カテゴリ
全体 トラウマサバイバー 進路 メンタルヘルス カウンセリング 健康 文化 文学 詩・句 音楽・舞踊 美術 映画 演劇 テレビ番組 社会問題 科学 自然 情景 思い出すこと 日常 旅 友人 おふくろ 仕事 庭仕事 料理 PC 車 卓球 いろいろ 不思議なこと 失敗 怪(?) 未分類 以前の記事
2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 more... お気に入りブログ
アトリエkaguyawing おパリな生活 プチ撮り福岡そしてスケッ... 街の風景 ~横浜・東京篇~ ナカマサニッキ 非天然色東京画 そして今日も途方にくれる フランス存在日記 新しい発見 まさかり半島日記 のらねこ。 (野良にゃ... 但馬・写真日和 楽貧生活 SEHIDUP-SEMA... フランス生活便り ★ウルフのスナフ物語(... 吐息・・・ 天気晴朗なれど~ 専業主婦の本棚 rio’s story みちのくの大自然 shot & shot 村人生活@ スペイン デジカメつれづれ日記3 こころの色 九十代万歳! (旧 八... 陶工房「上名窯」通信・... ネコ!いつかは干支に・・・ パリの郊外暮らし トスカーナ 「進行中」 ... 散歩日和 田口ランディ Offic... larywa Bon Copain! ひつじ雲日記 たびねこ タスマニアで生きる人たち ネコは猫でも... (... sadwat blog 旅するように暮らしたい FOTO CYCHEDE... 黒い森の白いくまさん 陰翳の煌き *PONCHIKUISM* あに☆いもうと ありがとうはまほ(う)のことば かぼすちゃんとおさんぽ。 焚き火小屋の備忘録 木蔭のアムゼル 「tamawakaba.... 光と影をおいかけて 助手M1日記 ゆっくり生きる 農家の嫁の事件簿 +(ぷらす) ねこの撮った汽車 豆ズがやって来た!ニャア... ku-miru-hiku feel the wind 地球の子ども新聞 Colors of Se... アメリカからニュージーランドへ 世に倦む日日 日々のことなど。 森の小道 子育て探検日記... ちくわ部 おやこ3人。ねこ2ひき。 ふくとぽん 外部リンク
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
外から虫の声が聞こえてくる、「キリキリキリキリイイイ」と聞こえるが、・・・・・。 クツワムシはガチャガチャだからなあ・・・・、何だろう、これは?・・・・・・・
夏と言えばギース、8月の初めごろ、炎天下で、1匹だけ、辛抱強く鳴いていた。 もう10年ぐらい前、確か岡山県の児島半島にある、国民宿舎だったかなあ、そこの庭というか裏庭みたいなところで。 トイレに行くと外で鳴いていた。 泊まり込みのエンカウンターグループだったのだ。 そこは2度行ったのだが、2度とも鳴いていたなあ・・・・・。 外の虫の声が止んでいる。・・・・・ 岡山では最初のとき、3泊4日の最後の晩、当日の全てのセッション終了後、世話人の計らいで、外で線香花火を楽しんだ。 大人の男女6~7人だったかな~、若い人の方が多かったかもしれないが、私なんかも久しぶりの線香花火を喜んだ。 あのときのグループは、あの線香花火のように心通うものがあったなあ。 私が作務衣を着るようになったのは、最初に参加したワークショップで、世話人の先生方が揃ってと言っても全部ではなかったと思うが、何人かの方が作務衣を着ておられたからだ。 心を解き放つ、くつろいだ集まりにピッタリに思えたのだ。 それでも、すぐには着なかったのだなあ、最初に着たのは、こっちに帰ってきて、上に書いた岡山のワークショップに行ったときだったなあ。 事前にもしかしてと入った、紳士用品の大手チェーン店の店先にあった、確かサービス品のなかに、いい仕立ての夏物の作務衣があったのだ。 私はよくも見ないで、これこれと拾い物でもしたように買ったのだ。 以来、ワークショップの度に着、家でも着るようになったのだ。 最初に買ったそれはたいへんいい仕立てだったが、その後通販で買ったものは当たり外れがひどかった。 最初のは国内仕立てだったが、通販の安いものは中国製が多く、寸足らずだったり、実際に着て収まるシルエットではなく、直線裁ちのような仕立てが多く、着心地の悪いものが多い。 仙台の方で、独自デザインの安くていいのを作っていたが、店の名を見なくなった、地震よりだいぶ前だったが・・・・。 国内仕立てのものは、通販でも万に近い金額、数万円のものもある。 そんなものは私は買えないので、安いのをだいぶ注文し、だいぶ銭を失った(!)。 今は、家では年がら年中作務衣、ないし夏場は甚平だ。 今日(31日、以下同)、おふくろに来客あり。 私が、近くまで迎えに出る。 昼に一緒にと思っていたにぎりをお客さんに買わせてしまった。 どうも、あの辺は私はチョー下手である。 そのにぎり、おふくろほとんど食べない。 あとで聞くと、魚が喉に詰まりそうに思えたらしい。 新しくて固いぐらい身が締まっていたから、歯ごたえのあるにぎりだった。 お客さんたちも全部は食べきれず残して、それも持ち帰られた。 片道2時間ぐらいの距離で、年配の方でもあり、良く来ていただいた。 帰りには、そのにぎりを買った道の駅に寄って帰ろうと話しておられたが、いいものがあっただろうか? その、運転して来られた方もご婦人だったが、今は、女性も、ほとんどの人が車を運転している。 男も、それぞれ癖を持った運転をしているのだが、それは女も同じだろう。 しかし、ちょうど自転車に乗るように、男も女も、今では車を運転するのだ。 それぞれの違いを認めて、そういうものだと思って、こちらも運転しなければならない。 それは、男の運転を女が見るときもそうだろう。 この、「違いを認める」ことが、男女であれそれ以外であれ、人間関係においてはもしかしたらキーワードではないだろうか? 違いが認められないから、大喧嘩になったり、果ては殺人事件まで起きるのではないだろうか? 元々、1人1人違うのだ。 それをまず認めた上でないと、話は始まらないのではないだろうか? ところが、たいてい、自分の思い通りにならないと言って、腹を立てたり苛立ったり、逆に悩んだり、劣等感を持ったり、悲劇は大概、言わば、独り相撲なのではないだろうか? そう思うと、たいへん滑稽である。 が、しかし、この、1人1人、お互いの「違いを認める」ことぐらい困難なことは無いかもしれない。 その1人1人が、その行動の、その思想の、主導者だからだ。 たとえ、奴隷であっても、たとえどんなに卑屈な人間であっても、動き、感じ、言葉を発するのは、1人1人である。 主人公であり、主体である。 自分の体の主であるから、自分が動かなければ、何物も実現しないのだ。 だから、どうしても自分本位になるのだ。 「人がどう動いている」か、「それに対応して自分が動こう」なんて、よっぽどできた人間か、ほんとうに心にゆとりのある人間でないとできないだろう。 たいていの人間が、「自分のことだけ考えて動いている」のだ。 だから、あっちでもこっちでも衝突し、トラブルになるのだ 交通信号のない交差点みたいなものだから・・・・・! 男女の間も、そうではないいろいろな人間関係においても、まず、「お互いの違いを認める」ことが、全ての始まりだろうと、思う。 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
by Silvergray777jp
| 2011-09-01 01:25
| 文化
|
ファン申請 |
||