今日(15日、以下同)も、もう遅いのだが、さっきから眠気が来ている。 昨日はその眠気が強く、書けなかったのだ。
が、実際に就寝したのは早くはなかった。 しんどくて、何も掛けずに横たわっていた時間が、1時間ぐらいあったのではないかと思っている。 起き上って、布団を出して入ったのが03時半を過ぎていた。
今朝は08時過ぎに目が覚める。 すぐに起き出したわけではないが、ヤクルトも受け取ったし、もう1つの訪問も受けたし、ゴミ出しもした。 が、遅い朝昼食を摂ったあとは、しんどかった。 かなり本格的に寝たみたいで、夢を見たりした。 最近、夢をよく見るようだ。 ちょっと努力すれば思い出すことができるぐらい新鮮な夢を、最近見る。
テレビだが、ずいぶん久しぶりに映画1本、全部観た。 『馬鹿丸出し』。 山田洋次監督、ハナ肇主演、『無法松の一生』を下敷きにした作品だ。 しかし、つまらなくない。 ハナ肇の演技が適度に力が抜けているから、最後まで見ることができた。 「喜劇はおかしく作らなくていい。 おかしな人間を、そのままに撮ればいい」と、出来上がった作品の観客の反応、好評だったのを見て、監督はそう思ったのだそうだ。 桑野みゆきも拵えた感じが無くていい。
演技、演じるというのは、拵えることでは無いようだ。
その人物になりきることのようだ。 しかし、そのためには、実際の様々な人の様子、さまざまな暮らしの実際を知っておかなければならないだろうと思う。
自分が主人公ではなくて、さまざまな人、生きている人が主人公なんだ。 そこに学び、その姿を尊重する気持がないと、その人になりきることはできないだろう。
何を演じても自分が出る役者と、確かにその人が演じているのだが、役の人物になりきっている役者と2通りいるみたいだ。
だから、役者で見せる映画、芝居と、役を見せる映画、芝居があるのではないだろうか?
役を見せられると、生の人間がそこに居るように感じるように思う。
役を見せる役者、たいへん少ないのではないだろうか? 緒方拳はその1人かもしれない。 宇野重吉もかもしれない。 渥美清もだろう。
おやすみ。
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