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今日(17日、以下同)は外出できず。 朝ちょっと早く目が覚めてしまって、PCの番をちょっとして、遅い朝食を摂ったらきつくなってきて、ちょうど支度をする前ぐらいから横に。 テレビを点けたままだったのだが、気がついたら放送内容を覚えていなかった。 そんなに長い時間ではなく、出かける時刻ぐらいに気がついたのだが、かなり体の反応が鈍くて、エンジンがかからなかった。
せっかく楽しみにしていたのだが、残念。 卓球も、外出も。 中途半端なままテレビを観たりしていたが、結局何をするでもなく、気分が優れないままの1日となった。 夕食は、昼抜きでもあったので早めに腹に入れる。 風呂にも入る。 外は雨。 夕方、外に目が行ったとき、道路が濡れていることに気づく。 夜になってからは、時々ベランダのプラスチックの波板屋根を音を立てて降ったりしている。 動きが鈍かったり、気持ちが停滞していて発動しなかったりすると、それも、長い間そうだと、「これは変らないんではないか?」と、自分でも絶望的な気持ちになる。 だが、長い間の私の経験から言えることは、それでも少しづつ、私は変ってきているのだ。 1度に変ることはないのだ。 子どもが泣いたりわめいたり、笑ったり喜んだりしながら人間形成をしていくように、「自分」という存在を喪失していた人間は、まず、それ、「自己喪失」に気付かなければならないが、気付いたからと言ってすぐ変わるものではなく、子どもがそうであったと同じように、大騒ぎをしながら、何も無いところから(喪失していたのだから)創っていかなければならないのだ、自分という人間を。 私が「自己喪失」に気付いたのは2002年の2月だった。 「喪失」と同時に、私はそれまで意識したことが無かった、生まれたての赤子のような「自分」の姿を見出した。 以来、私はその赤子を育ててきたのである。 それまでとは違う「自分」の存在に気付いても、その子は何をすることもできなかった。 それどころか、長年私が演じてきた「あるべき姿」の方に、私はすっかり取り込まれていたので、自分育てができるどころか、何かにつけて「あるべき姿」がしゃしゃり出てくるのだった。 「自分」が無かったのだから、自分を押し出すことにはたいへんな恐怖があったし、何かにつけて「劣等感」を感じていた。 自分で自分を否定的に見る習性が根付いていたので、いつもビクビク、ドキドキ周りを恐れていた。 そんなこんなが薄れていったのは、できるだけ「自分」に正直な気持ちを持つようにし、できるだけそのような気持ちで動くようにすることを重ねてきたからだった。 10年を超える年月が経っている。 作2013年の5月になって、その、ビクビク、ドキドキを感じなくなった。 10歳のとき以来感じていたものだ。 これは決定的だったし印象深い。 そして今日思うことは、そんな、亀の歩みのような、少しも変っていないように思える自分が、1つ1つ経験を重ねて、生き方を覚えていっているんだと、かなり強く思うことができるのだ。 子どもの成長と同じだ。 子どもの方は目覚しいが、私もペースは遅くとも、やっぱり1つ1つの経験から身につけるものを掴んでいるのだ。 競争社会の、成果主義の世のなかでは、立ち遅ればっかし意識させられるが、しかしだ、そのなかでも、私は、亀のごとくかもしれない、また、牛歩のごとくかもしれないし、もっと遅々として、もっと微々たる歩みかもしれないが、やっぱり、1つ1つ、身につけるものを、掴んで来ているのだ。 にほんブログ村 にほんブログ村 メンタルヘルス ブログランキングへ
by Silvergray777jp
| 2014-04-18 01:47
| トラウマサバイバー
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