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もうすぐ01時になろうとしている。 昨日(10月31日、以下同)も今日(11月1日、以下同)もつぶれていた。 何の意欲も湧かず、何をしょうという訳でもなく、時間が過ぎて行っていた。
意識的に体を動かそうとしても、動かない方に流れていた。 PCの守りにも飽きるほどだった。 寝ることも食べることも恣意的なままに、こらえきれずに食べ、寝るという具合だった。 夜になって、そういう状況について考えた。 私はある意味、ACからは脱却しているのだ。 失っていた心の平安は取り戻したのだ。 動揺することが無い。 自己否定することが無くなっているから、劣等感に苦しむこともないし、「斯く斯くあらねばならない」という強迫観念に追い立てられることもない。 去年(2013年)の5月の10日ごろだったか、自己肯定感が自己否定感の前に出てきたのだ。 そして、自己否定感が後景に退いて行った、だんだん影が薄くなったのだ。 今は、あらゆる私の状況を、「これが私だ」と、認めることができる。 昨日今日のような無為、無意欲のときも同様だ。 かつて私は、自分の状態の「無為徒食」に、どれだけ罪悪感を感じたことか。 それは心の奥底の方で感じている自己否定感を、客観的な目に見える形で示されているように、感じていたものだった。 私は自身を、罪人(つみびと)のように感じていた。 まるで江戸市中を引き回されている罪人のような心持だったのだ。 周(まわ)りまんぼう(おそらく山口弁、おそらく「周り万方」=周囲全部)の人に顔向けできないように感じていたのだ。 それは私には馴染み深いものだった。 自分の味わっていた疎外感とは別に、10歳からタバコを吸い始めて、それが止められないことに気が付いたときから感じていた、誰にも言えない罪悪感に、たいへん近しいものだったからだ。 自己否定感は大きく深く複雑になっていたのだ。 その「否定感」を、自分が疎外されていたことに気が付いたときから、自分の「肯定的な」部分を少しづつ蓄えていったことで、心のなかに大きく占めていたところから、片隅へ配置転換させて来ていたのだ。 その明らかな現われが去年の5月だった。 私は今、その「無為徒食」に再び向かい合っているのだ。 この状態を、そうで無くさせるには、やはり、目的が要るのだろうと思う。 何かに向かって行くということが無ければ、特に何もしなくてもいいわけだ。 心の平安は得たけど、目的が無いから、「無為徒食」になっているのだ。 「何かのために」というものか、何かの「目標」が無いと、何もしなくてもいいわけだ。 体が弱っていることを克服していくことも、「何かのために」ということが無いと、必要でないわけだ。 長年の「願い」であった「心の平安」は取り戻したのだ。 今は、心乱されることは無くなっている。 そうだなあ、実は不思議に思っていたのだが、合唱を始めて、初めて舞台を踏んだときも、私は全く緊張する、あるいは上がることが無かったのだが、それも、自己肯定感を蓄積している過程で、それまでは動揺のなかに浸かっていたところから、落ち着きが醸成されてきていたのだろうと、今、思い当たった。 私の長年の願望は達成されたのだ。 だから、私には、次のステップが要る訳だ。 何か、目標を、見つけていこう。 にほんブログ村 にほんブログ村 メンタルヘルス ブログランキングへ
by Silvergray777jp
| 2014-11-02 02:14
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