動き出しは遅くなったが、1日大方起きていて、用事を済ませた。 これで、朝の動き出しが早くなればいいのだが・・・・・。
夕食後、少し横に。
大量に溜まっていた乾いた洗濯物を、すべて畳んだ。 洋服ダンスのなかの防虫剤が、効果切れになっている。 1つだけ予備があったので、替えておいた。
従妹から、大量の胡蝶蘭の切花が届いた。 胡蝶蘭の栽培をしているのだ。 法事には来れないのでと短文が添えられていた。 胡蝶蘭の切花は初めてだったので戸惑ったが、広口の1番大きな花瓶(それでも高さ25cmぐらい)の底に剣山を置いて挿していった。 太い針金のような茎の先に花序が垂れ下がっているので、花瓶の口200度ぐらいに、広がるように挿した。 1つだけ高く上のほうから垂れるのがあって、変化がついた。 置き場所に困ったが、ちょっと工夫して、まずまず収まった。 気持ち、壁を隔てたこの部屋にまで、香りが漂っているように思われる。・・・・・・
長崎の高1少女殺人事件の被告が、医療少年院送りになった。 自閉症スペクトラム障害に起因するような判決だが、もともとの異常性格というよりも、少女をそこに追いやった要因への理解が要るのではないだろうか? そして、ほんとうの意味での立ち直りには、彼女への共感がスタートではないだろうか? 異常性、殺人への共感と取られかねないが、そうではなくて、「彼女の存在」自体への「共感」である。 おそらく、彼女に不足していた第1のものだろうと思う。 それが無かったから、歪んでいったのだろうと、私は思う。
これは酒鬼薔薇事件の少年Aについても、言えることではないだろうか? 今度の出版問題も、彼の「存在の不確かさ」から始まっているのではないだろうか?
異常な事件が起こると、その異常さに焦点が当てられがちだが、その異常性が、どうして生まれたかにこそ、焦点を当てなければいけないのではないだろうか? そこが明らかにされないと、真の贖罪も行われないだろうと、私は思う。
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